2010年12月7日火曜日

「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」 NunkommdenHeidenHeiland

(教会報12月号に投書した文章です。
急いで書いたのと、ちょっと勉強不足でもあり完全ではありませんが、待降節の音楽に対する思いとして読んでいただければと思います。

待降節の音楽について少し書いてみたいと思います。
このコラール(ルター派の賛美歌)を使って J.S.バッハ は待降節第1主日のためのカンタータを作曲しました。このコラールのもとになったのは、ミラノのアンブロジウス による、聖歌「来ませ、異邦人の贖い主よ」Veni, Redemptor gentium です。
賛美歌 21 による、日本語訳は、次の通りです。

いま来たりませ、救いの主イエス、
この世の罪をあがなうために。 
きよき御国を 離れて降り、人の姿で御子は現れん。
 みむねによりておとめに宿り、神の独り子 人となりたもう。
 この世に生まれ、よみにもくだり、御父に到る道を拓く主。 
まぶねはまばゆく 照り輝きて、暗きこの世に光あふれぬ

このメロディーを使って J.S.バッハは何曲かのコラール前奏曲(コラールのメロディーを使ったオルガン曲)を作 っています。その中でも、特に有名なものが2つあります。
BWV599, オルガン小曲集第1番と、BWV659、バッハ が若い頃に書いたものを最晩年に手を入れて編纂した 17 のコラール集の中の曲です。2曲とも本当にきびしい 曲です。それは、喜びの日を待つための物でありながら、とても内省的なのです。
”オルガン小曲集” Orgelbüchlein(短いコラールが 46 曲、教会歴にそって作曲されている。)の第1番、どの節も上から下へ降りて行 く音型で、降誕を表していますが、曲全体が十字架の音型と言われる(例えばレミシド、などの形)音型で覆い尽 くされているのです。
そして、BWV659, こちらはペダルにずっと、重い歩みのような進行が続きます。救い主が人の罪を負って、受 難まで続く歩みを表しているようです。その歩みの上に、美しく装飾されたコラール旋律が奏されますが、そのメ ロディーの中身も、嘆きのモチーフがちりばめられているのです。

また、グレゴリオ聖歌の主の降誕日中のミサの入祭唱の交唱の中に、

”Puer natus est nobis, ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。
et filius datus est nobis: ひとりの男の子が私たちに与えられた。”

と言う節があります。この中の、datus と言う言葉には、単に与えると言うよりも、与えつくす。と言った意味があるよ うです。

「キリストは神の身分でありながら神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の 身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に 至るまで従順でした。(フィリピ 2:6-8)

これらの音楽は、キリストの誕生は十字架への道の始まりであると言うことを、はっきりと表しているようで、毎年、 典礼歴の初めであるこの時期にこれらの音楽を演奏する時、身の引き締まる思いです。
待降節中の、ミサの前奏に上記の曲を弾かせていただく事があるかと思います。思いを共に、耳を傾けてい ただければ幸いです。

0 件のコメント: